日本チェス界の病巣

身体的能力の優劣が勝敗に影響する大多数のスポーツと異なり、ボードゲームの場合は頭脳だけで勝敗が決する為、知的水準が高いと言われる日本人には極めて有利であると思われます。
日本人のボクシング世界ヘビー級チャンピオンなんて有り得ませんが、知的ゲームならば日本人は充分に活躍出来る筈です。
将棋は実質的に日本だけの範囲内ですが、囲碁だけでなくオセロも日本人のレベルは世界的に極めて高いレベルです。

しかし、チェス界に目を向けると、FIDEのレイティングリストを見るまでも無く、日本人のレベルは惨憺たる有様です。
経済先進国の範囲だけでなく、日本より遥かに遅れた経済後進国と比較しても、圧倒的に低レベルであるのが現実です。
日本にチェスが伝播されて何十年も経過しているにも関わらず、グランドマスターが誕生する気配は全く有りません。
長年、日本チェス界の動向を注視して来ましたが、もはや日本チェス界にはレベル向上の意思が皆無なのだと断言出来ます。

単なる趣味として楽しむのは個人の自由であり、野球、サッカーのようなスポーツでも、囲碁、将棋のようなゲームでも、圧倒的多数はアマチュアであり、プロを目指す人材は極めて少数です。しかし、極めて少数の有能な人材を超一流にすべく、様々な指導体系が存在するのは全ての業界に共通しています。
ところが、日本チェス界の過去、現状を振り返ると、優れたチェス指南書を出版したり、ロシアのチェス養成期間への留学等を推し進める施策は全く見受けられず、単なる道楽レベルでしか無い状況が延々と継続して来たと言わざるを得ません。

東西冷戦時代は旧ソ連を中心とした共産圏が、政治的戦略兵器とする国家的支援により圧倒的地位を誇示していました。
チェスに対する関心がアメリカでは薄かった時代に、英語のチェス指南書が存在しなかった為、フィッシャーがロシア語を独学で勉強してチェス技量の向上に努力したのは有名な話です。そんな人材を日本人に求めても無理ですよね。
現在では英語のチェス指南書は多数存在しますが、日本チェス界にはロシア語どころか英語さえ読める人材は殆どいないでしょう。
たとえ英語ならば読解出来ても、高度な解説内容を噛み砕いて日本人向けに平易な解説書を出版出来る人材など皆無です。

ボトビニクが構築した旧ソ連のチェス選手養成機関、多くの高度な指南書などは更に進歩を遂げて、世界中の誰でも恩恵を受ける事が出来る筈ですが、日本チェス界には積極的な活動は見当たりません。
そもそもFIDEに承認された日本の唯一の組織であると豪語する「日本チェス協会」の醜聞については披瀝する必要も無いでしょう。
こんな団体が日本チェス界を牛耳っている(?)のならば、真面目な日本人が居ても迷惑千万であり気の毒としか言えません。

日本国内でチェス出版物が極めて少ない中で、東公平有田謙二の著作も読んでも、チェスに対する情熱は全く感じられません。
更に始末の悪い事に彼等の言動の中で一貫しているのは、将棋界に対する罵詈雑言です。これは凄まじい限りで呆れ返ります。
恐らく、いつまで経っても一流選手を輩出出来ず、世界から馬鹿にされ続けている状況に対する腹いせとしか思えませんが、日本人でありながら日本文化を非難し続ける彼らの言動には辟易するしか有りません。
要するに最も大切な日本チェス界レベルの向上に全く関心が無い彼等は、将棋界の侮辱、破壊しか生き甲斐が無いのです。

象徴的な事件が、2009年4月の将棋名人戦第1局において、対局中の羽生善治に対して、観戦記者東公平がサインを求めた前代未聞の醜聞事件です。NHKの朝のニュースでも大々的に報道されました。将棋界からの非難は当然でしたが、本質を把握した
分析は皆無でした。将棋観戦記者である東公平、即ち、将棋界の人間が将棋を侮辱したという観点の非難のみだったからです。
当時の東公平は完全にチェス界の人間であり、公開対局絶対のチェス界の常識で、非公開対局絶対の将棋界を侮辱したと言うのが事件の本質だからです。チェスを全く知らない将棋界の非難を受けても、東公平から全く反省の言葉は有りませんでした。
何よりも当時の日本チェス界の息を殺した沈黙が象徴的でした。「何を大騒ぎしているのか?何も悪い事はしていない」と言うのが日本チェス界共通の本音だったでしょう。

日本チェス界にとって更に不利な条件は、昔のチェスと異なり短時間のチェス、つまりRAPID CHESS、BRITZが重要な地位を占める事です。しかし、国際化した囲碁界で日本人が外国人(中国、韓国)に敵わなくなってしまったように、日本人は短時間の勝負が苦手です。世界の超一流選手は、通常のチェスだけでなく短時間のチェスでもレイティングは極めて高いです。

所詮、日本人のチェス愛好は娯楽、道楽、暇潰しの領域を超える事は無いのは明白です。