文化、慣習の相異の克服は不可能である

日本文化である囲碁、将棋と外国文化であるチェスとの間には、克服し難い価値観の相異があると、極めて悲観的に考えております。
ゲームの基本的ルールについては問題無く納得出来ても、運営方法に関する様々な習慣、規則などについては、日本人と外国人との間では、絶対に受け入れられない項目が数多く存在します。自分で列記してみると、あまりにも多くの相異が存在する事に驚きました。

先ず最初は、音に関する問題です。
碁石、将棋の駒を盤上に打ち付ける際に音が発生する事は、特に気合いの入った局面では、プロ、アマに関係無く自然な光景です。
ところが、チェスでは駒を移動する際に音を発生させる事は厳禁とされています。もっともチェスの駒の構造上、音の発生は不可能に近いですが。
相手に不快感を与えると考えるか、気合いが乗っている相手に対して自分の気持ちを引き締めると考えるか、の相異でしょうね。

更には、日本人ならば、扇子という小道具を持ってバチバチと音を立てたり、独言を吐くのも、プロ、アマに関係無く自然な光景です。これも、外国人は相手に不快感を与えると考えるのでしょう。

2番目の大問題が、碁石、駒の触り方です。
碁石、将棋の駒の触り方には、人差指と中指で上下に挟んで持つという厳格なマナーがあります。これもプロ、アマに関係無く共通です。
周囲全体を抱えて掴む、いわゆる「糞掴み」は最も下品な行為として忌み嫌われる恥ずべき所作です。

ところが、チェスの駒の構造上、駒の上半部分を掴むしか方法がありません。外国人は「糞掴み」という言葉を知らないでしょうが、日本人がチェスを嫌う最大の理由と思われます。
外国人に囲碁、将棋を教える場合、外国人は当然のように碁石、将棋の駒を「糞掴み」します。勿論、外国人に悪意はありませんが、そんな光景を見ると、海外に囲碁、将棋を普及させない方が良いと考えるのは、私だけではないでしょう。

一方で、チェス規則の方が優れていると思われる唯一のものが、「タッチアンドムーブ」です。チェスの駒は立体的に隆起していますから細心の注意が必要ですが、最初に手が触れた駒を動かさなければならないというもので、これだけは「日本人」の私として大変感心しました。

囲碁、将棋では碁石、駒から手が離れた時点で着手完了となる為、あれこれ異なる駒に触った挙句、着手を諦め再思考するというような、御世辞にも褒められない行為が常態化しています。更に、着手した石、駒の近辺をチョコチョコ触る行為も多いですよね。
激しく殴打された石、駒により周辺の乱れた石、駒を直すという善意からの行為ではありますが、正当化する理由は見当たりません。超一流のプロ棋戦でも見られますが、明確に規則で厳禁とすべきでしょう。一度触れた駒を絶対に最終着手として、周囲の駒には一切触れてはならないという「タッチアンドムーブ」は日本人の美意識と矛盾しないと思うのですが、曖昧なままです。

3番目が離席という超大問題です。
早指しならば離席する事はありませんが、持時間が長い囲碁、将棋の対局では離席は頻繁に発生します。明確な離席禁止という制約も無く、相手側の席に移動して立ったまま眺めながら思考する光景も珍しくありません。外国人は絶対に受け入れないでしょう。
しかし、囲碁、将棋を長時間の思考を必要とする芸術創作活動と考えれば、離席を繰り返すのは当然の行動結果と言えます。
一方、単なる勝敗を競うスポーツと考えれば、不正行為を疑われる離席という行為を慎むのも当然と言えます。
この不正行為の存在有無については、性善説で解釈する日本人と性悪説で解釈する外国人との間で発生する、考え方の相異と言えます。

4番目は持時間の長さの相異です。
これは公開対局、非公開対局という運営方法の相異と密接な関係があります。観客が対局者の直近で観戦する事を最優先するチェス界では、持時間の短縮化が進む一方です。ゲームの進行に伴って持時間を増加させるフィッシャーモードは完全に過去のものとなりました。
しかし、囲碁、将棋の場合は、プロ棋士に優れた作品を創作して貰う為、充分な持時間を与えるのが当然の運営方法となっています。
その結果、度重なる離席という問題も発生する訳ですが、食事、間食やトイレ離席が必須となります。
チェス界ではゲーム中の飲食は言語道断ですが、疲れた頭脳への栄養補給として、離席する訳ではない間食も認めないのは疑問に感じます。

ただ、2日制対局の1日目最終時刻での封じ手という運営方法は欠陥だらけであり、チェス界で封じ手禁止となったのは当然と言えます。
他に適当な手段が無い為、囲碁、将棋では未だに封じ手が運用されている訳ですが、どうしても2日制で運用するならば、公平性担保の為に、もっと厳格な規則を設けるべきでしょう。複数の着手が考えられる複雑な場面で封じるべきであり、誰が見ても唯一の次手しか無いような場合に封じるのは著しく公平性を欠く事になります。

持時間の長期化に際しては、1日目最終時刻での封じ手だけでなく食事休憩時という問題も発生しますが、食事休憩に封じ手はありません。
こうして考えて見ると、長い持時間の運用については問題だらけであり、最善の運営方法を考案する事は極めて困難な状況です。
勿論、持時間無制限という訳には行きませんから、持時間を使い切れば1手1分以内という運営方法が採用されます。
しかし、チェス界では時間切れになれば優劣に無関係に着手側の敗北という極めて理不尽な規則となっています。

5番目は反則の扱いです。
囲碁、将棋では反則が発生すれば即時敗北ですが、チェス界では誤りを咎めて再開としています。あまりにも寛容過ぎると違和感を覚えますが、これも日本人と外国人の文化、慣習の相異でしょう。

最後に採譜という大問題について述べます。
囲碁、将棋では記録係が採譜、クロック処理を実施しますが、チェス界では対局者自身が採譜、クロック処理を実施する事が義務化されています。
脇見運転そのものであり、注意力散漫になるだけで何のメリットもありませんが、チェスでは絶対に記録係の存在を認めません。
日本チェス界に質問しても、「慣れてしまえば問題無い」とか「記録係が必要な理由が分からない」とか、全く誠意の無い回答ばかりで、数十年(笑)も悩み続け必死に考え続けた結果、独断ではありますが、やっと結論に辿り着きました。

先ず、チェス界では観客の観戦料が唯一最大の運営資金獲得源であり、公開対局が絶対です。その結果、観客の利益が最優先される為、記録係は観戦時の障害物、目障りな邪魔者でしか無いのであろうと推測しました。
更に、対局者の直近に存在すれば、記録係が言葉に出さなくても表情等で一方の対局者を援助、支援する危険性を除去したいと考えるのでしょう。
日本人ならば有り得ない発想ですが、こう考える事で無理矢理、自分を納得させる事にした次第です。

では、そろそろ結論に入りましょう。ここで象徴的な問題として2点だけ提起すれば充分と思います。
1番目はカラー柔道着です。カラー柔道着の導入により柔道の伝統精神は完全に破壊されてしまいました。
いくら柔道の伝統、心は白でしか表現出来ないと日本人が主張しても、外国語を全く話せず論破力も無いので、外国人の言いなりです。
2番目は朝青龍のガッツポーズです。横綱朝青龍が勝った瞬間にガッツポーズをして、伝統的な相撲界から非難された大事件です。
しかし、これも朝青龍には第一の責任は無く、きちんと弟子を指導しなかった親方に最大の責任があると思います。

観客の利益を第一に考えて、観客が競技者を見易くする、観客に勝利の喜びを伝える、という行為は外国人には当然なのです。いくら話し合っても理解出来るものではありません。
囲碁、将棋とチェスは全く別世界の文化であり、絶対に理解し合う事は不可能です。